大坪徹
事務所

COLUMN

コラム「住み手の大声小声」

北海道の住宅業界事情に精通した専門紙「北海道住宅通信」に、2023年6月号から2024年5月号まで掲載。

「マイナスの家づくり」を超えて

これまで仕事で数えきれないほど相見積もりを依頼してきましたが、その結果にこれほど落胆したことはありませんでした。家を建て替えることになり、3社に相見積もりを依頼。その結果は全社、予算オーバーでした。こちらの提示したプランが、予算に見合っていなかったということでしょう。3社の中で一番低い金額で見積もってきたのはA社で、僕の中ではイチオシの住宅会社でした。新たに住宅会社を探すべきか。プランを見直して、もう一度3社に相見積もりを依頼するか。それともA社に決めて、予算に見合ったプランを詰めていくのがいいのか。そんなことを悶々と考えているうちに、時間ばかりが過ぎていきました。

3日後、B社とC社から見積もり結果の問い合わせが入りました。「まだ検討中で、もう少し待ってください」と答えるしかありません。自分の決断力の無さにガックリ。玄関のチャイムが鳴ったのは、その翌日のことでした。ドアを開けると、A社のN部長が立っていました。「もう気になって気になって、来ちゃいました」とN部長。家の中に入ってもらい、すべてを話しました。全社予算オーバーだったこと、A社の見積もり額が一番低かったこと、イチオシの住宅会社がA社であること。N部長は少し考えた後「うちにやらせてください。何とかします」と。「何とかする」というのは、多少のプラン変更は余儀なくされるが予算内に収めるということ。逆にいうと、予算内に収めるけれどプランは希望通りにはいかないということです。僕は承知しました。ここから「マイナスの家づくり」がスタートします。

設備・仕様はレグレードダウンしてもいいけれど、耐震性や断熱性といった住宅性能は高いレベルを保つことを条件にプランの練り直しが行われました。床面積を抑え、窓の数も減らしました。造作家具の一部を既製品の建具に替え、ノーワックスのフローリングは標準タイプに変更。2階のトイレはこれまで使ってきた設備を持ち込むことにしました。仕方がないこととは言え、プランの練り直しは住まいへの夢を削っていく作業なのでした。「マイナスの家づくり」です。それはとても切なく、辛いものでした。当初のプランがどんどんプラスへと広がっていくような方法が他になかったのだろうか?後悔の念ばかりが心に渦巻きました。

ところがです。練り直したプランに沿って建築が進むにつれて、後悔の念は徐々に期待感へと変わっていきました。当初のプランより帖数を減らしたリビングは、これまた床面積を抑えるために採用した吹抜を設けたことで予期せぬ開放感が生まれました。窓の数を減らしたことで断熱性が高まり、既製品の建具も思っていたよりも洗練されたものでした。これは決して「怪我の功名」というようなものではなく、住宅会社のスタッフや大工さんの知見と尽力の賜物です。「マイナスの家づくり」はプラマイゼロ、いやそれ以上へと昇華したのでした。2006年7月1日、新居での暮らしがスタートします。しかし、それは「ああすれば、こうすれば良かった」の始まりでもありました。

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