大坪徹
事務所

COLUMN

コラム「こんな人にはかなわない」

札幌で2012年から2014年に発⾏していたフリーマガジン「Madura(マドゥーラ)」に連載。

収載に際して、加筆修正を行っています。

深い優しさを持つ人

vol.1

その日、僕は東京での仕事を済ませ、羽田空港から新千歳空港へ向かう飛行機の中にいた。着地するときの「ドーンッ」という衝撃で目が覚めた。時計を見ると、予定到着時刻より30分以上過ぎている。機体整備に時間がかかったとかで、遅れることは予め知らされていた。僕の座席は窓側で、隣り座席の通路側には若い女性が座っていた。年頃は20歳代半ばというところだろうか。機内サービスのときに、僕が注文した飲み物を受け取りやすいように腰を引いて座り直してくれた。感じのいい人だなと思った。

まもなく飛行機は駐機場に着き、シートベルト着用のサインが消えると乗客が一斉に立ち上がった。女性が通路に移動したので僕もそれに続こうとしたら、やや強引な感じでビジネスマンらしき若い男性が僕と女性の間に入り込んできた。やがて乗客の列がゆっくりと前に進み出した。途中から気づいたのだが、反対側の通路がスムーズに前に進んでいるのに、こちらの通路は流れが鈍い。前の男性が肩を大きく揺らしはじめた。明らかにイライラしているのがわかる。

前方を見てみると、進まない理由がわかった。僕の隣りに座っていた女性が、列に入ろうとしている乗客がいるとその都度止まり、自分の前の空間を譲っているのだ。僕の前にいるイライラ君はいよいよ業を煮やしたのだろう。舌打ちした後に「ったく!」と、明らかに伝えることを前提とした声の大きさで言った。その直後に女性が少しだけ前につんのめった。ちゃんと見たわけではないから確かではない。でも僕は男性が手に持っている荷物で女性を押したように思えた。間もなく女性は通路を進むのをやめ、座席に座り込んでしまった。出口近くまで来たところで僕は後ろを振り返った。列の最後尾はすでに女性より前に来ているのに、彼女はまだ座り続けていた。何か遠い昔を振り返るような目で、飛行機の小さな窓の向こうを見つめていた。

新千歳空港から札幌都心に向かう高速バスの中で、僕は飛行機の女性のことをぼんやりと考えていた。なぜ彼女は列を抜けて座席に座り込んだのだろう。単にバッグから携帯電話か何かを取り出すためだったのかもしれない。後ろから押されて怖くなったのかもしれない。もしかしたら、自分の行為が他の人の迷惑になっていると思ったのではないか。そうだとすれば、彼女は自分の中にある優しさで自分自身を傷つけたことになる。それは、あまりに悲しいことのように思える。

これは僕の友人がまだ若い頃に体験したことだが、満員電車の中で座っていると彼の前に女性のお年寄りが立った。席を譲ろうと思い「どうぞ」と立ち上がった途端、「結構です、そんなに老けて見えますか?」と言われたそうだ。バツが悪くて浮かした尻をどこに落ち着けたらいいかわからなくなり、隣りの車両に移動したというのだ。それ以来、友人はお年寄りに席を譲るとき躊躇するという。飛行機の女性の場合とはちょっと事情が違うけれど、自分の優しさで自分自身が傷ついている点では共通しているような気がする。

僕だったらどうするだろう。彼女のように列から離れて座席に座り込んだりはしないと思う。だって、何も間違ったことはしていないのだから。かといって、そのまま前を譲り続けることもしないだろうなあ。その行為自体が、イライラ君への当てつけになってしまう。それはかなり恥ずかしいことだ。その都度はやめて、2回に1回とか、3回に1回とか、譲る回数を適当に減らしながら進んでいくような気がする。まあ、いわゆるお茶を濁すというやつだ。

そんなことをつらつら考えていたら、違う考えが浮かんできた。彼女の優しさは僕のようなヘナチョコではなく、もっと深いもののような気がしてきたのだ。他人のつらさを自分のつらさのように感じてしまう人。だからこそ、列に入りたいと思っている人の気持ちはもちろん、後ろのイライラ君の気持ちまでもわかってしまう。前を譲り続けることも、僕のようにお茶を濁しながら進むこともできない。自分が列から離れることしかできなかったのではないか。僕の想像ばかりで彼女の胸の内はわからない。

高速バスの窓の向こうには、夕焼けが広がっていた。その美しさは今日の終わりと、晴れ晴れとした明日を告げている。彼女が飛行機の小さな窓から見つめていたのも、この茜色の風景だったらいいなと、そのとき思った。

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