大坪徹
事務所

COLUMN

コラム「こんな人にはかなわない」

札幌で2012年から2014年に発⾏していたフリーマガジン「Madura(マドゥーラ)」に連載。

収載に際して、加筆修正を行っています。

忍耐と爆発の人

vol.2

高倉健さんは、なぜカッコイイのか。先日、友人4人(おやぢばかり)と一緒に飲んでいてそんな話になった。「飲むときは基本的に一人で無口。必ずキレイな女将がいる」と言う者がいれば、「渋い顔のまま冗談を言っても絵になる」と論ずる者もいた。僕は「ズボンに両手を突っ込み、うつむき加減で、しかもなぜかいつも逆風を受けて歩く」と答えた。他の二人よりは気の利いた見解だと悦に入っていたのだが、もう一人がなかなか鋭いことを言った。「健さんは、なぜカッコイイのか。それは心身ともに受けた痛みに耐え、その忍耐をマグマのように蓄積し、最後に爆発するから」。

そうなのだ。高倉健さんは忍耐と爆発の人なのだ。それも、自分のために耐え忍ぶのではなく、自分以外の人のために耐え忍び、その人のために爆発するのだ。『網走番外地』シリーズ『駅 STATION』『夜叉』、すべてそうだ。まあ、いずれにせよ「俺たちは高倉健さんにはなれない」という結論に達したのだが、そんな話をしながら僕はある人のことを思い出していた。

僕がまだ駆け出しのコピーライターとして広告代理店にいた頃だ。営業担当が血相を変えて制作室に飛び込んできた。「クライアントが怒ってる。制作担当をすぐ連れて来いって!」。その仕事を担当していたのは僕とアートディレクターのMさんである。道すがら話を聞いてみると、前日に提出した表現案に対して宣伝部長が「コンセプトがまったく違う!」とご立腹らしい。コンセプトが違う?僕とMさんは顔を見合わせた。というのもそのコンセプトは、宣伝部のK課長との、数度にわたる打合せの中で決めたものだったからだ。

会議室で待っていると宣伝部長とK課長が入ってきた。このK課長はもともと広告代理店にいた人で、ヘッドハンティングで入社してから間も無かった。席に着くなり宣伝部長が「このコンセプトはあり得ない」と言い、その理由をとくとくと説きはじめた。話を聞いていて、彼の言うことも一理あると思った。でもこちらが提案したコンセプトも間違いではない。答えがひとつじゃないことは広告ではよくある。どちらがベストかという話ならわかるが、全面否定されるのは心外だった。僕は宣伝部長が口角泡を飛ばしている間、まるで他人ごとように大袈裟に頷いているK課長が不思議でならなかった。なぜ頷くのだ。なぜ黙っているのだ。共に考え、最終的にあなたが決定したコンセプトではないか。

やがて宣伝部長が「K君、キミはどう思う?」と尋ね、K課長はこう答えたのだ。「W社(僕たちの会社名)さんはこの商品を長くやってるんですよね。もっとピンポイントで提案してもらわないと」。僕はその言葉を聞いた瞬間、頭に血が上り、堪忍袋の緒は切るためにあるんだ!とばかりに身を乗り出した途端、隣りに座っていたMさんに足を軽く蹴られた。「後は任せる」と宣伝部長が退席した後、僕たちに何か言おうとしたK課長を遮るようにMさんが話し出した。具体的には覚えてないが、K課長を一切責めず「今後このようなことが起こらないよう努力するが、K課長にも引き続きご協力をお願いしたい」という内容だった。

僕の腹の虫は収まらない。帰り道、K課長の保身とも言える態度をなぜあの席で問いたださなかったのかと、僕はMさんに迫った。彼は軽く頷きながら黙って聞いていた。最寄り駅に着くと、彼は無言でベンチを指差した。そこに座りながらこんな話をしてくれたのだ。「ツボちゃん、キミの言っていることは間違っていない。とても正しい。僕も同じ気持ちだった。ただね、正しいことを言うときは気をつけないとね。正しいことを言われた相手は少なからず傷つくものなんだよ。正しいことを言う方も相手より上にいるような気分になる。ちょっと得意げになっちゃう。それって、ちょっとマズイと思うんだ。だから、静かな声で控えめに言わないとね。みんなそうだけど、K課長だって小さなプライドを抱えて生きてるんだよ」。

そんなことがあってから2年後、僕はコピーライターとしてさらに腕を磨くために会社を移った。それからMさんとは会うこともなかった。しばらくたって前の会社の同僚に会ったとき、Mさんが依願退職したことを知った。なんと、あのK課長を打合せ中に殴ったという。その日のうちに退職届を上司に提出したという。それを聞いて僕は驚いた。「正しいことを言うときは静かな声で控えめに言うものだ」と諭してくれたMさん。きっと蓄積していた忍耐のマグマが爆発したに違いない。

背も高くないし、刃物のような鋭い目つきでもないし、見た目はちっとも高倉健さんじゃないMさんだけれど、忍耐と爆発という、同じカルマを内に秘めていたのかもしtれない。当時のMさんは40歳くらいだったと思う。僕はもうとうにその年齢を超えている。それなのに違うと思ったらその場ですぐに口に出しちゃうし、自分をコントロールできずに強い口調になることも間々ある。正しいことを静かな声で控えめに言えていない。やれやれである。

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