大坪徹
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COLUMN

コラム「こんな人にはかなわない」

札幌で2012年から2014年に発⾏していたフリーマガジン「Madura(マドゥーラ)」に連載。

収載に際して、加筆修正を行っています。

身代わりになってくれた人

vol.5

僕は芦別の東黄金という炭鉱の町で生まれた。炭坑に斜陽化の気配を感じた父は「ここに未来はない」と、周囲の反対を押し切って滝川に移り住んだ。僕が小学一年のときだ。東黄金にはまだ父方の親戚がいたので、引っ越してからもバスでよく遊びに行っていた。しかし、その親戚もやがて炭坑を見切ってその地を離れてからは、長く訪ねることはなかった。

昨年、芦別スターライトホテルでちょっとした集まりがあり、車の道順を地図で調べていたら東黄金が思いのほか近いことがわかった。今どんな様子になっているのか、途中、寄って見る気になった。道道4号旭川芦別線の二股で右折する。あの頃、覚えたての自転車で一人でここまでやって来て、後から母にこっぴどく叱られたことを思い出す。数分車を走らせると、見覚えのある形の山が見えてきた。捨石(ボタ)の集積場、ずり山だ。あの真っ黒く鋭い稜線を描いていた山はすでに緑色に変わり、ちょっと丸みを帯びている。

生まれ育った家があった場所に行ってみる。住んでいた炭住(炭坑住宅)など当然、残っているはずもないが、記憶を引き寄せる風景がそこにあった。大好きだったナオミちゃんの家はここら辺りで、あっちにヤギを飼っていた村上さんちがあってと、瞼の裏に残る古いアルバムをめくっていった。そのとき僕の脳裏にトシ坊とみんなに呼ばれていた、少年の顔が浮かんだ。「トシ坊…」とつぶやいたら、急に鼻の奥がツーンとなった。

その頃、北海道の炭坑はまだ貧しかった。一般的な家庭には電話もなく、もちろん車もなかった。わが家にテレビがやってきたのは、僕が四歳の時だ。栄養のバランスが悪かったのだろう。中には青っぱなを垂らし、服の袖をガビガビにしていた子もいた。トシ坊もそんな子どもの一人だった。僕より四、五歳年上だったと思う。母親と、歳の離れた長男との三人暮らし。父親はいなかった。近所の子とケンカばかりして、いわゆる除け者扱いをされていた。なぜか僕はトシ坊になついていて、金魚の糞のように後を追いかけていた。トシ坊もそんな僕をかわいがってくれたが、お菓子を持っていかないと不機嫌になり、かまってくれない。それで僕はいつも母の隙を伺いながら自分のおやつをポケットに隠し持って、トシ坊の家に遊びに行くのだ。

トシ坊の家は日中誰もいない。もうやりたい放題である。トランプゲームや花札、チンチロリン…おかげで?僕は小学校に上がる前から博徒であった。外ではチャンバラの手ほどきを受け、2B弾という爆竹と銀玉鉄砲で戦争ごっこをやり、日が暮れるまでいっしょに遊んでいた。そんな日々の中で、あの事件が起きた。

暑い夏の昼下がりだったと思う。僕たちは水の入ったバケツを外に出して、水鉄砲で遊んでいた。トシ坊が刑事で僕が強盗である。いつも僕が悪役だった。トシ坊は僕を何十回も逮捕して、さすがに飽きたのか、水の入ったバケツを振り回しはじめた。体ごと回転させて横にぐるんぐるん、次は腕だけで縦にぐるんぐるん。そして、僕にバケツの中を見せながら自慢げに言うのである。「どうだ、凄いべ。水、こぼしてないべ。凄いべ」。僕は凄いと思った。どうしてバケツを逆さまにしているのに水がこぼれないんだろう?不思議だった。「オマエもやれ!」とトシ坊が言った。僕は恐る恐るゆっくりと横にまわした。水はこぼれない。よし、今度は縦だ。それまでより、勢いよく振り回してみた。すると、手からバケツの取っ手がスルリと抜け、バケツは大きな弧を描いて飛んで行き、近所の家の窓を突き破った。「ガッシャーン!」。逃げろ!トシ坊の声と重なるように「誰だ!そこにいろ!」という図太い家主の声がした。何てことだろう。そこはHさんの家だった。Hさんは先山(石炭掘りの棟梁)として大人から一目置かれ、子どもたちからは恐れられていた。バケツを持ったHさんが玄関から出てきて言った。「誰がやった」。僕は足が震えた。顔も上げられない。そのとき、トシ坊の声が聞こえた。「俺だ」。

トシ坊は頭にバケツをかぶせられ、Hさんの家の中へと連れて行かれた。すぐに泣きながら謝るトシ坊の声が聞こえてきた。その声がだんだん絶叫に変わっていく。僕はただただ恐ろしくて、涙があふれ出る。どれくらいの時間が経っただろう。とてつもなく長く感じた。泣きながらトシ坊が玄関から出てきた。トシ坊が走り出す。その後を僕が追う。二人で泣きながら走った。田んぼを抜け、橋を渡り、へとへとになるまで走った。

それから半年後、トシ坊は何も言わずに家族と東黄金からいなくなった。

芦別スターライトホテルからの帰り、僕は滝川の実家に寄った。母に東黄金に行ったこと、トシ坊を思い出したことを話した。すると母は「アンタはトシ坊に遊んでもらいたくて、いつもお菓子を隠して持って行ってたしょ」と言った。バレバレだった。母はこう続けた。「トオルは俺の子分だって、いつも言ってたねぇ」。そうか、僕は子分だったんだ。あのとき、親分は自分の体を張って、子分の身代わりになってくれたのだ。トシ坊に会いたいと思った。そして、あのときのお礼を言いたい。急に鼻の奥がツーンとしてきた。

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