大坪徹
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COLUMN

コラム「こんな人にはかなわない」

札幌で2012年から2014年に発⾏していたフリーマガジン「Madura(マドゥーラ)」に連載。

収載に際して、加筆修正を行っています。

いつもの場所のいつもの人

vol.6

名前も年齢もわからない。どこに住んでいて、どんな仕事をしているのかもわからない。もちろん会話を交わしたこともない。でも“その人を知っている”ってこと、ありますよね。毎日の散歩中にすれ違う人、お昼休みの喫茶店で見かける人、スポーツジムのマシンで隣り合わせになる人。“いつもの場所のいつもの人”たちだ。

20年ほど前の話である。僕はその頃、横浜市の郊外に住んでいた。毎朝、最寄り駅を午前9時5分に発車する電車の先頭車両に乗り、渋谷駅で降りた。なぜ先頭車両かというと、オフィスのある代官山に一番近い出口へ行くのに都合が良かったからだ。柔らかな日差しが心地よい春の日。その朝も、僕は最寄り駅から先頭車両に乗り込んだ。シルバーシートの向かいの、いつもの席にいつもの女性が座っていた。

彼女の存在に最初に気付いたのは半年ほど前のことだ。残暑の厳しい頃だったけれどスーツをビシッと着こなし、ショートヘアが似合っていた。年齢は30歳前後というところか。女優でタレントの剛力彩芽さんがもっと大人になったら、あんな感じになるんじゃないだろうか。

彼女は常に電車の中で本を読んでいた。単行本のときもあれば文庫本のときもあった。小説か、エッセイか、評論か、いつも美しい千代紙のブックカバーをしていたのでジャンルまではわからない。僕は本を読む人を見るのが好きだ。外界を遮断し、自分だけの世界に没頭している佇まいがいい。その本から、知識や経験を得ようとする表情に惹き付けられる。彼女の場合は、その表情がとても豊かだった。あるときは大好きなフルーツパフェを食べている少女のようであり、またあるときは難解な数式を解いている学者のようでもあった。

本を読む彼女の、斜め向かいの席が空いていたので、僕はそこに座り、いつものように新聞を広げた。何駅か過ぎて、乗客も増えていた。細かな字に目が疲れ、ふと彼女の方に視線を移した。「私はなぜここに在るのか」、人生の深淵をさまよう哲学者がそこにいた。「朝から難しい顔しちゃって、大変ですなあ」なんて心の中で声を掛けていると、「わっ!」という声が聞こえ、シルバーシートの前に立っていた人たちが後ろに飛び退いた。よく見ると、おばあさんが嘔吐していた。突然の出来事に周囲の乗客たちは唖然とするばかり。おばあさんは、口に手を当て、うずくまっている。その時、彼女がすっと立ち上がり、近づいて「大丈夫ですか」と声を掛け、続けて同じシートに座っている人たちに「すいません、席を空けていただけませんか、楽な姿勢にしてあげたいんですが」と言った。その言葉が引き金になった。おばあさんの体を支える人、ハンカチを差し出す人、そのハンカチでおばあさんの服に付いた汚れを拭く人…。僕は嘔吐物がそれ以上広がらないように、持っていた新聞紙を床にかぶせた。彼女は腰を屈めて「次の駅、すぐですからね、頑張ってね」と声を掛け、おばあさんの手を握り続けた。

電車が駅に到着すると、彼女は「皆さん、ありがとうございます」と言い残し、おばあさんを抱きかかえながら電車を降りた。自動ドアが閉まり、電車は何事もなかったように走り出したが、車内には先ほどとは違う空気が流れていた。緊急事態をみんなで協力し合って収拾したという連帯感と安堵感が混じり合ったのようなものかもしれない。

その年の1月に阪神・淡路大震災、3月には地下鉄サリン事件という衝撃的な惨事が相次いで発生し、それからまだ日が浅かった。生命ののはかなさを感じずにはいられなかった。心に無常感が漂う中で、自分にできることは何かを頭の隅で考えていた。でもその答えはなかなか見つからず、時間だけが過ぎていった。僕だけじゃなく、その頃、そんな苛立を感じている人は少なくなかったと思う。おばあさんが嘔吐したとき、向かいの席から素早く駆け寄った彼女の行動が、何かを気付かせてくれたような気がする。いま自分ができること、それは大袈裟なことじゃなく、日々の身近なところにあるということ。

次の日の朝、僕はいつものように最寄り駅から9時5分発の電車に乗り込んだ。シルバーシートの向かいの席には、いつものように本を読む彼女の姿があった。名前も年齢も住所も、どんな仕事をしているのかもわからない。でも「僕はあなたのことを知っている」と心の中でつぶやいた。車内の人たちもいつものように新聞を読んだり、手帳を見たりしている。この中に、おばあさんの体を支え、ハンカチを差し出し、おばあさんの服に付いた汚れを拭いた人たちがきっといる。そう思ったとき、何だかうれしくて胸が熱くなった。

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