大坪徹
事務所

ESSAY

「O.tone」への記事執筆

「O.tone(オトン)」(あるた出版)は、おやぢ世代(40~60代)からの情報を元に構成される、札幌を楽しむための情報誌。

家を建てることは、
家族を考えることなのであった。

4年前の冬、よく晴れた休日だったと思う。妻がコーヒーを入れながら言った。「この家、建て替えようか」。「この家」とは東京から札幌に移り住んだときに購入した一戸建てで、築30年以上の中古物件だった。ボート池のある大きな公園に隣接し、地下鉄駅へ歩いても10分ほど。何よりロケーションが気に入った。建物自体の良し悪しは二の次だった。

ところが、住んでみて4人家族には広すぎて(6LDK!)持て余したし、かなりの安普請であることがわかった。すきま風が入り、雨漏りし、冬は結露が激しく、おまけに浴室にはワラジ虫が棲みついていた。10年間住んで、妻としては我慢の限界だったのだろう。

「建て替えようか」という妻の言葉を聞いたとき、僕は「シメタ!」と思った。仕事柄、数多くのモデルハウスを見てきて「自分が建てるなら、こんな家にしたい」というイメージを描いていた。でもそれは、あくまでも空想の世界…。経済観念の強い妻が建て替えに同意するはずもなく、せいぜいリフォームどまりだろうと思っていた。それが今、現実になろうとしているのだ。僕はひとくちコーヒーをすすり、腕組みをし、しばし長考した後、おもむろに答えた。「そうしたいなら、反対はしないよ」。

建て替えが決定して、僕は早速プランづくりに着手した。玄関ドアを開けると、そこは広い土間になっていて薪ストーブが置いてある…ゆらゆら揺れる炎に癒されながらグラスを傾けるのだ。居間のコーナーには一段高くなった小上がりを設ける…掘り炬燵でぬくぬくしながら盃を傾けるのだ。2階の書斎には連続するベランダを配置する…陽光を浴びながらジョッキを傾けるのだ。なんて素晴らしいプランなんだろう!自分のアイデアに酔いしれた。

僕は自信満々で間取り図を妻に見せた。ひととおり目を通した後に彼女は言った。「もっと将来を見据えたほうがいいんじゃない?」。グループホームで看護師をしている妻の考えはこうだ。高齢になって身体能力が衰えた場合も、できるだけ自立して生活できる工夫が必要である。例えば、1階に土間や小上がりを設けるスペースがあるなら、主寝室を優先して配置すべきであると。年を取ってから階段を上り下りするのは大変だと主張するのである。言っていることは最もだけれど、現実的すぎる。夢がない。

そんなこんなで間取り図というフィールドで4ヶ月にわたる攻防戦が繰り広げられた。結果は僕の完敗である。唯一、ベランダ付きの書斎だけは死守した。とはいうものの、家のプランについて家族と話し合ってきた時間は貴重だった。今思うと、家づくりとは、家族みんなで家族について考えることなのであった。

これまでどんな思いで一緒に暮らしてきたのか。これからどのようにして生きていきたいのか。一人ひとりの気持ちを確認する作業なのである。妻は家族のいる居間から離れたキッチンで家事をするのは、ちょっぴり寂しかったという(新居は居間と一体化した対面キッチンにした)。娘は学校を卒業したら東京で自分の夢を実現したいと考えていることもわかった。

先々を見据えて1階に主寝室を設け、陽光を浴びながらビールを楽しめるベランダ付き書斎のある我が家が完成した。住んでみて、今まで以上に家族の距離が近くなったような気がした。それは6LDKから4LDKへと、かなりコンパクトになった広さのせいだけじゃない、と僕は思っている。

※「O.tone(オトン)」2009年11月号に掲載。収載に際して、加筆修正を行っています。

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