大坪徹
事務所

COLUMN

コラム「住み手の大声小声」

北海道の住宅業界事情に精通した専門紙「北海道住宅通信」に、2023年6月号から2024年5月号まで掲載。

春を迎えて、家の終活を考える

4月の初旬、実家の冬囲いを外しに滝川へ。降雪量の多い地域だけに、庭には雪がまだ残っていました。グチャグチャの足元を物ともせず、テキパキと作業をする母。92歳になるというのに足腰がしっかりしている。食事に気を配り、適度な運動を心がけ、愛猫のクーちゃんと元気に自活してきました。

でも、この暮らしをいつまで続けられるか。母は「認知症になって手に負えなくなったら、いくらごんぼほっても施設に入れてね」と折に触れて言うけれど、その後のこと、特に家をどうするかについては未確認状態。母が元気なうちに「この家、どうするつもり?」って訊いておくべきなんでしょうけど、どうも言い出しづらい。

「人生100年時代」と言われる中で、自身のエンディングについて早くから考え、準備する「終活」が注目されるようになりました。終活の中でも「住まいをどうするか」は大きなテーマです。生前に贈与するのか売却やリースバックするのか、それとも何もしないで相続させるのか。利活用や処分が進まず、空き家のままにされる事態だけは避けなければなりません。人生を共にした愛着のある住まいが将来、誰も住むことなく放置され、近所に迷惑をかけるような状態になってしまうのは悲しいことです。

わが家が現在の場所に住み始めてから30年近くなります。その間に町内の風景もずいぶんと様変わりしました。戸建住宅が取り壊されて賃貸アパートが建ったり、空き地になったり。空き家状態の戸建住宅も2軒あります。その2軒の場所は、なんとわが家の両隣。南側のお宅は奥様が介護施設に入られてから空き家になっているものの、お子さんが毎週訪れてしっかり維持管理されています。

一方、北側のお宅は家主の方が亡くなられてから10年以上、野放し状態になっています。江別レンガを使った外壁に庭師が剪定した松が映えて、町内一の美しさを誇っていたのに今は見る影もありません。人が住まなくなると、家は死んでいくのですね。

空き家に挟まれてからというもの人ごととは思えず、家の行く末を考えることが多くなりました。それは自分の老後を考えることに他なりません。「人生は、冬ではなく、春で終わりたい」という広告コピーがあります。これは僕が敬愛するコピーライター・故岩崎俊一氏が書いたものです。

人の一生は四季になぞらえられることがあります。長い年月を懸命に働き、家庭と社会を支えてきた人の老後は冬ではなく春であってほしいという思いを、一行のフレーズに込めています。春のように穏やかな老後を迎えるために、終活をどうするか、その中でも「家じまい」をどうするか。それは決してネガティブなことではなく、自分にも周囲の人にも安心をもたらす、前向きな活動であるはずです。

滝川から自宅に戻り、庭の掃除をしていると、北隣の空き家から伸びた枝がわが家に触れていることに気づきました(=写真)。枝から新芽が吹き始めています。それを見ながら僕は思いました。わが家の、そして母が住む実家の最後に向けて準備を始めよう。新しい春を迎えて、新しい一歩を踏み出せたような気がします。

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