大坪徹
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COLUMN

コラム「住み手の大声小声」

北海道の住宅業界事情に精通した専門紙「北海道住宅通信」に、2023年6月号から2024年5月号まで掲載。

家は3回建てないとダメなのか

これまで長い間、広告をつくってきました。かれこれ40年ほどになるでしょうか。電信電話サービス・デパート・自動車・航空会社・食品・テーマパークなど、さまざまな業種の広告を手がけてきましたが、その中で最も深く広くかかわってきたのが不動産広告です。ハウスメーカーの企業広告やブランド広告をはじめ、住宅設備機器、住宅展示場、マンションなど多種多様。気がつくと、僕にはいつの間にか「不動産コピーライター」というレッテルが貼られていました。住まいづくりは人生の大事業といわれるだけに、買う方も売る方も真剣勝負。その両者を結ぶ広告の責任は重大で、制作者として醍醐味とやりがいを感じてきました。貼られたレッテルを、僕は誇らしく思っています。

クライアントとの打ち合わせや施主さんへの取材などを通して、よく耳にしてきた言葉があります。それは「家は3回建てないと理想の家にならない」というもの。生涯を通して家を3回も建てた人がそれほど多くいるとは思えないし、特に地価や建築費が高騰している昨今の状況ではかなり非現実的な話です。この言葉が伝えたいのは、理想の家を実現したいなら3回建てるべし!ということではなく、住んでみて感じる施主の気持ちではないのか。ああすればこうすれば良かったと、住んでからよぎる後悔の念。それほど家づくりは難しく、奥深いことを表しているのではないでしょうか。

僕も17年前に家を建てました。もちろん3回目ではなく、初めての家づくり。住宅本や雑誌を読みあさり、家族や住宅会社の担当者と何度も話し合いました。仕事柄、数多くのモデルハウスを見てきて「建てるなら、こんな家」というイメージもありました。完璧ともいえるプランで理想の家が出来上がったと思いきや、住んでみて頭をよぎったのは「できることなら、もう一度、家を建てたい!」でした。ここがもう少し広ければ、このスペースは不要だった、あれとこれの位置を逆にしておけばと、後悔の念が渦巻きました。

でも負け惜しみじゃありませんが、17年間住み続けて思うのです。不具合も含めて「これもまた良し」と。限られた予算の中でプランを考え、材質や設備を選び、我慢できるところは我慢して建てた家。自分の子は出来の悪いところも含めて愛せるというか、すべてに責任を持つというか。「困ったヤツだ」と思いながらも、この家とうまく折り合いをつけながら暮らしていけばいい。そうしていくことで、いつか不具合も愛着へと昇華していくのではないか。3回建てなくても、この家を大切に住み続けていくことが、理想へと近づくことになるのではないか。今はそう思っています。

 「北海道住宅通信」読者の皆さんは、不動産業界の方が多いと思います。いわば、家を提供する人たち。住まいのプロに対して素人の僕が語れるのは、住む側の思いなのではないか。そんな気持ちから、このコラムのタイトルを「住み手の大声小声」にしました。僕が家づくりを通して感じたこと、住んでからの思い、そして仕事上で得たわずかな知識などを織りまぜながら、このコラムを連載していきたいと思います。

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